大道芸ワールドカップin静岡後日談その2。
特に凄いと感じたのは、今年ワールドにエントリーされた光洋さん。
パントマイマーとしても有名な人だし、毎年見てはいたが。
この人の人形振りは凄い。ことに操り人形をやらせたらとんでもない。
人間とは思えないようなレベルだ。どうやればあんな動きが可能なのか。
腕を引かれた(上で操っている人から、と仮想して)としたら。
人形なら、動かされたはずの腕部分だけではなく、残された部分も動く。
自分で体重支えてないから揺れて当然なんだが、その動きは頼りない。
その細かな動きすら全身でばらばらに表現できてしまう。
この人の中にあるリズムはどんなんなってるんだろうね。
見ていないという方は、一度は見てみてほしいものです。


相変らず面白かったのは、小出君。
確かジャグラーだったはずだが、今回ジャグラーらしい事は皆無。
ジャグリングの技術だけを単純に考えると、確かに上には上がいる。
…そう言ってしまったら何に対しても言える事なんだが。
この人は、方向転換、ではなく、他の方法を考えたという事だろう。
自分自身を、唯一の存在として活かせる方法を。
いおりさんもそうなんだが、語りも重視するようになった。
個性を出せるかどうかはパフォーマーとして大事なことだろう。
マジックなんかも結構やるようになったし。


ただ、熟練の“大道芸人”たちは、最近ある種の方向を示すようになった。
…気がする。同じ事ばっかりやるよりははるかにいい事だと思う。
思うけど、ちょっと違うだろうという部分も、人によってはあると思う。
ジャグラーがジャグリングをやらず、パントマイマーがパントマイムしない。


これってどうか。しかもその一連が、皆簡単なマジック等をやり始めた。
元々“大道芸”っていうのは、サーカスではない。
芸自体は確かに大変な技術なんだが、あくまで道端でやれる芸、だ。
だからこれらの変化は間違いなのか、といえば、そうじゃない。正しい。
でも前記したように、最低限、自身の主体はやってくれ。
パントマイマーはパントマイムしてくれ。
ジャグラーもジャグリングしてほしい。ダンサーはダンスしてくれよ。
これも当然じゃないのか。だってその主体の芸は命、じゃないのか。
方向転換も見直しも幅広い芸、もいい。個性が活かせればそれでも。
でも、選んだ道の最低限の事は示してほしいですよ。
その人のマイムが、ダンスが好きだったのに、それが見られない。
理由はあるんだろうが、それすらはっきりと示してくれないのなら。
それは長年のファンにとっては失望でしかない。


今年初めて、自分の好きなパフォーマーを見た同期が言った。
「…で、この人は一体何をやる人なんだ?」
自分がどれだけ失望したか、この一言に集約されている。
さらに同期は、今年自分と一緒に回っていた友人にも聞いた。
友人の答え。「ダンサーだよ」
パントマイマーでーす(笑)。おいおーい。